人生を山に賭ける登山家、山野井泰史さんの生き方。

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山野井泰史さんという登山家がいるのをご存知でしょうか。

山岳雑誌「山と渓谷」2016年1月号に掲載された、読者1,000人による好きな登山家アンケートでは、植村直己を抑え堂々の1位に選ばれています。ちなみにその妻、山野井妙子さんも外国の山岳雑誌に「世界で最も才能のある女性クライマー」と書かれることもあり、彼女も上記のアンケートで10位に選ばれています。

僕が彼とその妻の妙子さんを知ったのが、沢木耕太郎の著書『』で彼らの生き様を読んだのがきっかけです。ノンフィクションで綴られる彼らの山に人生をかける生き方に、衝撃を受けたことを覚えています。

そんな山野井夫婦の生き方について、取り上げたいと思います。

世界最強のソロクライマー

世界の果てまでイッテQ!でお馴染みのイモトアヤコさんの登山スタイルは「極地法」と呼ばれます。大規模な登山隊を率いて、ベースキャンプから第一キャンプ、第二キャンプと前進しながらキャンプを設営し、可能な限り頂上に近い最終キャンプから山頂に登るスタイルです。

一方で、山野井さんのクライミングのスタイルは、酸素ボンベは持たないのはもちろんのこと、できるだけ装備を軽量化し、ベースキャンプから一気に頂上を目指す「アルパイン・スタイル」と呼ばれるものです。少人数、もしくは単独で、短期間のうちに山頂を目指します。

山野井さんを世界最強のソロクライマーと呼ぶ人もいました。

ちなみに、5大陸最高峰すべてに登るという偉業を世界で初めて成し遂げた、植村直己さんも単独で登山に挑むスタイルでした。

雪崩の巣と化したギャチュンカン北壁からの生死を賭けたサバイバル

山野井さんは、2002年に登ったヒマラヤ・ギャチュンカン北壁からの登頂を果たしました。

しかし、その帰路、妻と共に想像を絶するほどの、まさに命がけのクライミングをします。七千メートルの断崖絶壁で、ロープでブランコを作り、ほぼ宙吊りの状態でビバーク。(緊急的に野営すること)下降途中に幾度なく雪崩に巻き込まれ、妻妙子が50m下まで落下。二人とも目がほとんど見えなくなる..。

それでも幾多の困難を自力で乗り越え、奇跡的に生きて帰ってくることができました。この生死を賭けたクライミングの文章から伝わる臨場感に、心を揺さぶられるほどの衝撃を受けます。

ぜひ沢木耕太郎の『』を読んで感じてほしいと思います。

過酷な登山の代償、そこからの再スタート

過酷な登山の代償により、山野井さんは凍傷で、手足の指の10本を切断しました。妻は足の指は切るほどのものではありませんでしたが、手の指は10本すべて付け根から切り落とすことになりました。

以前とは同じようなクライミングはできなくなったものの、山にかける情熱は変わらず、夫婦の共に山を愛しています。

山野井夫婦は、ギャチュンカンから5年後の2007年、グリーンランドで標高差1300メートルという岸壁に挑戦し、17日間かけて登頂に成功しました。凍傷で得たハンディキャップを前提として次の山に挑戦していく彼らの姿は、まさに人生を山に賭けている生き様ではないでしょうか。

沢木耕太郎『凍』で印象に残った文章

山野井夫婦のギャチュンカンへの挑戦を綴ったノンフィクション作品である、沢木耕太郎著作の『』の中から印象に残った文章の一部を紹介したいと思います。

文明の利器(トランシーバー)を携えていくことで、素のままの自分が山と対峙するという感じが無くなってしまうことを恐れたからだった。

高校受験の勉強もせず山にかまかけていた山野井に対し、父親は何も言わなかった。しかし、全身から血を流して家に帰ってきた山を見て、初めて叱りつけてた。

「そんな危険なことはもうやめろ!」

山野井は即座に怒鳴り返した。

「いやだ!」

それから取っ組み合いの大騒ぎになった。山野井は台所に走り、包丁を持ち出し、腹に刃を当てて叫んだ。「俺にクライミングをやめさせるなら、これを刺して死んでやる!」

すると父親が言った。「それなら刺してみろ、ここで見ていてやるから」

山野井はほんのすこし刺してみたが、あっ痛いと思ってやめた。

二人とも山に対して登るということ以外に多くを求めていなかった。金も名誉も必要なかった。いい山に登れさえすればいい。とりわけ妙子はそれが徹底していた。

二十代半ばまで山野井はアウトロー的な生き方に酔っているようなところがあった。家族や友人を捨て、あるいは逆に捨てられ、登山道具だけを持って生きている。そこに痺れるような陶酔感を抱いていた。それが妙子と暮らすようになって変化した。

親しい人にはこんな冗談を言ったりするのだ。「妙子と僕が結婚したのは、山で死なないためなんだ」

一本のハーケンやアイススクリューを打つのに一時間はかかったろうか。四本で四、五時間はかかることになる。一本打つたびに指が一本ずつだめになっていくような気がした。左の小指、左の薬指、右の小指、右の薬指….。

最後に

山野井さんは、指を失ったその登山について、自分の持てるすべての力を使って山と向き合うことができたから「最高の登山だった」と、のちに話しています。

山野井さんへのインタビュー記事があるので、ぜひ下記のリンクから飛んで読んでみてもらいたいです。

参照:ぼくは「想像」が得意。|ほぼ日刊イトイ新聞

もう、考え方がかっこよすぎて言葉が出ないです。僕は彼のように山に人生を賭けて生きていくことはできませんが、違う形で何かに人生を賭けて、自分の命を燃やし尽くしていきたいなあと思います。

参照:山野井泰史ブログ

それではまた!

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