僕が学生時代に悩んでいたテーマのひとつに、「働くことの意味について」がありました。
仕事観なんて働いてみないとわからないとは思っていましたが、それでもなぜ働くのか、なんのために働くのかなどモヤモヤしたものを抱えながら色々と模索していたのを覚えています。
生活のために働くというのは大前提としてありますが、ポイントはその先にある自分なりの価値観や哲学的なところです。
今はまだ、自信をもって自分なりの仕事観を伝えることはできないですが、ある程度まで言葉にできるようになってきました。
働くとは、「傍」を「楽」にすること
働くことで何よりも重要なのが、「自分のため」に働くことだと思います。社会のため、会社のため、家族のために働くことの原動力になるものはいくらでもありますが、自分をないがしろにして体を壊してしまったら元も子もありません。
「自分のために」働くことは大前提として考えるべきことでしょう。
それを踏まえた上で、働くとは「傍」を「楽」にすることにあると思います。
「傍」を「楽」にするという表現は、「働く」をなぞった言葉遊びのようですが、以前にタイトルは忘れましたが本を読んでいたときに出会った言葉です。
ここでいう「傍」としてまず考えられるのが、自らが提供する商品やサービスの受け手です。価値を提供し、課題を解決することで、サービスの受け手を「楽」にすることが仕事なのでしょう。
「傍」として次に考えられるのが、同じ職場で働く仲間です。会社という同じ船に乗っているもの同士、同じ方向に向かって互いに助け合いながら仕事をすることが必要です。
最後に「傍」として考えられるのが、自分の身の回りにいる家族などの近しい人々です。仕事を通じて得たお金で家族を支え、手助けをすることが働くことと言えるでしょう。
「他を利する」ところにビジネスの原点がある
「傍」を「楽」にするといいましたが、「楽」にするということは、他人の利益になるということです。
京セラを創業した稲盛和夫さんは、著書の『生き方ー人間として一番大切なこと』にて、「他を利する」ところにビジネスの原点があるといいます。
歴史を振り返ってみても、資本主義はキリスト教の社会、なかでも倫理的な教えの厳しいプロテスタント社会から生まれてきたものであることがわかります。
初期の資本主義の担い手は敬虔(けいけん)なプロテスタントだったわけで、マックスウェーバーによれば、彼らはキリストが教える隣人愛を貫くために厳しい倫理規範を守り、労働を尊びながら、産業活動で得た利益は社会の発展のために活かすということを、モットーとしていたといいます。
したがって、事業活動においてはだれから見ても正しい方法で利益を追求しなくてはならず、また、その最終目的はあくまで社会のために役立てることにありました。
つまり世のため人のためという利他の精神がーー私益よりも公益を図る心がーー初期の資本主義の倫理規範となっていたわけです。
資本主義の発展段階でも、「他人の利益になること」が大切な行動規範になっていたようです。
利己と利他はいつも表裏の関係にある
他人のためになることをしていると自分では思っていたとしても、物事を広い視点で見てみると実は全体にはマイナスの影響を与えているということがありえます。
稲盛さんは、利他の精神を強調しつつも、その危険性についても指摘しています。
会社のためという「利他の行い」も、会社のことばかりだと、社会からは会社のエゴと見える。家族のためという個人レベルの利他も、家族しか目にはいっていなければ、別の視点からすると家族という単位のエゴと映るかもしれないーーしたがって、そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点から物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になってきます。
たとえば会社だけが儲かればいいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらいたい、さらには消費者や株主、地域の利益にも貢献すべく経営を行う。また、個人よりも家族、家族よりも地域、地域よりも社会、さらには国や世界、地球や宇宙へと、利他の心を可能なかぎり広げ、高めていこうとする。
すると、おのずとより広い視野をもつことができ、周囲のさまざまな事象について目配りができるようになってくる。そうなると、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回避できるようになってくるのです。
利他の心を可能な限り広げていくことで、幅広い視点から客観的な判断ができるようになるというのは、非常になるほどとうなずけます。
「誰かのため」が「ほかの誰かのためにならない」ことがありえるということを、理解しているだけでも物事の捉え方や視点が変わってくると思います。
最後に
他人のために働くことって大切だよねということをつらつらと、述べてきましたが、自分のことで精一杯なら、自分のためだけに働くべきですし、だれしも常に他人のために働くという意識を持つべきだとは思いません。
まずは自分のために働き、余裕ができてきたら、それをだんだんと他人のため、社会のためなどと広げていければいいのだと思います。
仕事をしていくなかで、最初は「自分のため」だけだった仕事が、だんだんと「だれかのため」「社会のため」などと広がっていく。その過程がある意味、「大人になっていく」ということなのかもしれません。
それでは今日はこの辺で〜!
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