オードリー若林さんが自身のインタビュー記事にて、一人旅で行ったキューバの話をしています。
参照:オードリー若林正恭39歳の日々「ガールズバーに飽きて、ゴルフに夢中」
その時に、印象に残ったことを以下のように話しています。
キューバに行ったときにハバナ湾沿いにみんな集まってきて、ずっとしゃべってるんです。いいおじさんがギターとか、アコーディオンを持ってきて、深夜まで。東京に住んでいると、みんな明日、仕事あるのかなと思っちゃうじゃないですか。でもキューバでおじさんがずっと話しているのを見ていると、気が合う人とただくだらない話をしているのが、けっこう人生のピラミッドでも上のほうのことなんだと思ったんです。
――すごく重要なことだと。
若林 そうそう。今までは何かを受賞して、盾を持って写真を撮っている瞬間が人生のピーク、みたいなイメージがあったんですけど、あれは全然ピークじゃないですね。
でも、たとえばいま親父が生き返って、急に一対一で飲みにいくって言っても、ちょっと恥ずかしくてしゃべれないですけど(笑)。今年は阪神がロードが強いとか、アメフトで誰々がトレードだとか、そんな他愛もない話をするんでしょうね。
気の合う人に会っている時間
若林さんがキューバで感じたようなことを、僕もインドネシアのバリ島にいった時に感じました。
僕が会ったバリ人たちは、しょっちゅう友達とあって、バトミントンや運動をしたり、ご飯を食べたり、時には夜通し、気のすむまでグラスを回しながら酒を飲んでいたりしていました。
僕はその時、お金をたくさんもって、ほしいものをたくさん買えるという経済的な豊かさだけでなく、人間が人間らしく、気の合う人と関わっている他愛もない時間をたくさん持てるというような「豊かさ」を知りました。
そして、その時に感じた、後者の豊かさのほうが、人にとっては大事なことなのではないかという思いは、いまも変わっていません。
ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)が書いた名著『モモ』が伝えるメインメッセージも、若林さんが重要だと感じた、気の合う人に会っている時間に関してだと感じます。
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日本においても、気の合う人と関わっている他愛もない時間をたくさん持てている人たちはたくさんいますが、僕がこれまで行った海外で出会った人々は、あきらかに日本人より、気の合う人に会っている時間を持っていたように思います。
最後に
気の合う人に会っている時間をどれだけ持てているのか。
個人的には、普段の忙しさだったり、疲れているからなどを言い訳にして、全然時間を持てていません。
誰かを誘ってだと、物理的な距離などのハードルが高かったりするので、もっともっと、気軽にいつでも集える場所だったりコミュニティを持ててたほうが、いいのかなと思ったりもします。
今回はこのへんで〜。
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