人生の価値とは、その人が生まれた世界と生まれなかった世界の差なのだろう。
アメリカのシリコンバレーにて、Drivemodeという会社を経営している古賀洋吉さんのブログを読んでいたときに上記の言葉に出会いました。
参照:君が生きていたということ
あたりまえのこといってるんじゃないかと思うかもしれませんが、よくよく考えてみると、ひとりの人がこの世に生まれたことによって及ぼす影響って、思っている以上にあると思います。
例えば、一度くらいしか話したことがなく、もう十年以上もあっていないような人のことをふとした瞬間に思い出し、「あ〜そういえば、あんな人いたな〜、いまどこで何をしているのかな?」なんて考えることがたまにあります。
もし、その思い浮かんだ人がこの世に存在していなかったら、僕が一瞬でもその人のことを頭に思い浮かべることなど絶対にありません。そう考えるだけでも、人が存在していることで生み出される差ってかなりのものがあるように思えてなりません。
自分が生きていることによって生み出される差がたくさんあるのであれば、マイナスの差ではなく、できるかぎりプラスの差を生み出していきたいところです。自分が普段の生活のなかでどんな差を周囲に生み出しているのかと、意識的に振り返ってみるのもいいかもしれません。
他人が生み出した差を大切にする
上記の記事で特に感銘を受けたのが、他人が生み出した差を大切にするというところです。
古賀さんは、文中、自殺してしまった友人に対してこのように書いています。
結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。
でも、シンプルに考えると、君とは、君が生まれた世界と、君が生まれなかった世界の差なのだろうと思うようになった。あたりまえといえば、あたりまえなのだろうけど。
そう考えると、僕にできる唯一のことは、その差を大切にすること。例えば、僕が岐路に立ったとき、「君なら何というか」を心のどこかで影響させつづけることで、君が生きていたことによる「差」を大事にしていこうと思う。
その差のひとつが、君が教えてくれた鬱病のつらさや鬱病に関する考え方。こういうことに関して僕がコメントすることで「救われた」というコメントを書いてくれる人がいるのは君の命の重みだと思う。
今は亡き人が生きていたことによって、生まれた差を大切にする。うまく言葉にできないのですが、その差を大切にするのが今を生きる人ができる精一杯のことなのかなと感じます。
自分が生み出す差に自覚的になり、他人が生み出した差を大事にする。
シンプルなことですが、すっごく大切なことだと思います。
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