罪悪感は、無力感とつらい悲しみから自身の身を守るために抱くものであり、存在の付加価値税とも言える。

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罪悪感に苛まれる経験をしたことがない、という人はおそらくいないでしょう。

人に迷惑をかけたと感じたとき、期待を裏切ったと感じたときは、少なからず罪悪感というものを感じると思います。

デンマークの心理療法士であるイルセ・サンさんが書いた本『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』の中では、罪悪感は2つの種類に分けられています。

  • 現実的な罪悪感-ほかの人を煩わせることをしたとき、そのことを自分自身に警告するもの
  • 度を越した罪悪感ー不釣合いで過剰なもの

今回は、この二つの罪悪感について考えていきます。

罪悪感は、存在の付加価値税

心理セラピストのベントファスクさんは、罪悪感を非常にうまい言葉で表現しています。以下、『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』からの引用です。

罪悪感とともに生きるのは、自分が下した選択に対し、支払わなくてはならない代償なのです。

心理セラピストのベント・ファルクはこの罪悪感を、「存在の付加価値税」と呼んでいます。たとえば、祖母に勧められたのと別の進路を選んだことで、祖母をがっかりさせたことがあるなら、たくさん謝ったり説明したりとさまざまな償いをすることで関係を修復しようとするのではなく、罪悪感とともに生きるのです。

確かに、自分が行ったことに対して、何かしらの負い目を背負いながら生きることが、自分にとっての償いのようなものになる気がします。

罪悪感という実体のない付加価値税を支払い続けることによって、自分の気持ちを楽にさせると言ってもいいかもしれません。

ただ、他人に対して罪悪感を抱きすぎることは、自分にとっていいものではないでしょう。上記の祖母をがっかりさせてしまったという例の続きで、イルセ・サンさんはこう言っています。

祖母をがっかりさせてしまったという罪悪感は、自分の気持ちに正直でいるために必要な代償だったのだ、と自分に言い聞かせましょう。そして正直さというのは、それだけの代償を支払う価値があるものだということも自分に言い聞かせるのです。

自分の気持ちに正直に行動した結果、感じる罪悪感というのは、そんなに重く考える必要はないと僕は思います。自分の気持ちを押しつぶすよりも、正直に行動した方が何倍もましだと思うからです。

本来背負うべき以上の罪悪感を抱え込まない

何か悪いことがおこったときは、「誰のせいであるかそうではないか」などと、物事を白か黒かのどちらかで考えてしまう傾向があります。

原因をよく考えてみると、実はいろいろな要素が絡んでおり、白と黒の中間にあるグレーであることだってあるのです。

自分が100パーセント悪いなどと決めつけて、必要以上に罪悪感を背負うのではなく、認めるところは素直に認めて、悩みから解放されるくらいにふっきれてしまうことも大事なのだと思います。

行き過ぎた罪悪感は間違いなく、百害あって一利なしです。

最後に

「罪悪感は、無力感と悲しみから自身の身を守るために抱くもの」という説明の仕方があるそうです。確かに、相手を傷つけたという事実を直視するよりも、自分のせいだと考えている方が楽なのかもしれません。

僕たちは生きていれば、何かしら行動やミスから罪悪感を抱くことがあります。そんなときは、必要以上に罪悪感を抱え込み過ぎないことを意識しながら、時には感じている負い目を捨て去るくらいの潔さが大事なのだと思います。

それではまた〜!

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