哲学を学ぶということ。未来を恐れないで生きるために、自分の「哲学」を持つ。

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哲学を学ぶということ。

知的好奇心からだったり、自分自身の抱える問題からだったりと、哲学に触れるきっかけや動機は人それぞれです。

古代ギリシャの哲学者だったエピロクスは、哲学を学ぶのは未来を恐れないためだと言っていたそうです。哲学者の内山節さん著書『哲学の冒険』には、エピロクスの未来を恐れないためという言葉についてこんなことが書いてありました。

僕たちはいつでも未来を恐れている。死ぬことを恐れ、歳をとることを恐れ、将来に生じるかもしれない様々な不安を恐れている。だから未来をうまく過ごせるようにしようと思って、いまの生活に焦ってしまう。それは僕たちが生きる目的や自分の生き方を確立していないからだ。今の自分に不安があるから、未来はますます不安なものになってしまうんだ。

哲学を学んだからと言って、直接的な利益は何もないかもしれない。しかし未来を恐れないで生きていくという大きな収穫が得られるとエピロクスはいう。だから未来を恐れないための学問=哲学は、人間が美しく生きるための学問でもあるというんだ。

なぜ哲学を学ぶと美しく生きることができるのだろう。エピロクスは哲学を学んだ者は「快く生きること」ができるからだという。しかし「快く生きる」とは楽しく遊びながら生きるという意味ではない。というのはエピロクスは「思慮深く美しく正しく生きる」とき、本当の快さは生まれるといっているからだ。

もし未来を恐れたりしないで、思慮深く、美しく、正しく、つまり快く生きていくことができたら、僕たちはどれほど満ち足りた一生を過ごすことができるだろうか。この満ち足りた一生は、誰かにもらうことも、お金を出して買うこともできない、つまり自分自身でつくるしかないものだと思う。しかしもしそれを得ることができたら、僕たちの人生のなかでもっとも価値のある財産を手にしたことになるだろう。

確かに僕たちは不安と共に生きていて、その不安の根源を知りたいという欲求を持っています。ただ、生と死、意識や存在など哲学的なことは、答えが明確に存在するものではありません。

未来を恐れないために哲学を学んでも、答えのない問いを求め続ける限り、結局不安はなくならないのではと思ってしまいます。

それでも哲学を学ぶ人にとっては、何も知らない不安より、先人たちの知恵を借りながら、自分の頭の中でできるだけ納得できる答えを求め続けながら抱える不安の方が、何十倍も何百倍もましなのだと思います。

最後に

将来の不安と闘うためには、誰かの哲学ではなくで自分の「哲学」を持つことが大事なことなのかなと感じます。

別に哲学者のように深いところまで思考ができなくとも、自分なりに納得できる「哲学」があれば、不安に負けない力強い軸を持てるのではないでしょうか。

それではまた〜!

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