長野と群馬の一部地域でよく使われている言葉「おてんま」とは?

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「おてんま」という言葉が、長野県や群馬県の一部で現在も使われていますが、内山節さんの著書『共同体の基礎理論』の中に詳しい説明があります。

以下、引用します。

おてんまとは

「おてんま」とは群馬や長野の一部ではよく使われている言葉で「結」に意味は近い。それは共同でみんなのためになる仕事をすることである。ただし、「結」は、道普請や水管理などをすることもあるし、田植えを共同でしたり、屋根の葺き替えをすることもあった。ところが「おてんま」はみんなのためになることを、みんなでする、つまり道を直したり、水路管理をしたり、共有林の整備をしたり、……を指す言葉であり、個人の利益になることを共同することは含まれていない。 もちろん昔は屋根の葺き替えなどは集落共同の仕事としておこなわれていたが、こちらは上野村では労働力の貸し借りと位置づけられ、「えいこ」という。誰かのために、みんなが労働力を貸す、ということである。そのうち自分の家の屋根の葺き替え時期がくれば、貸しておいた労働力をみんなに返してもらえる。「えいこ」とはそんなふうに考えておこなわれる。「結」に含まれているものが「おてんま」と「えいこ」に分かれていると思っていただければよい。この言葉がどこから生まれたものかはよくわからないのだが、「えいこ」は「ゆいこ」、つまり「結っこ」からきているのではないかと私は推測している。

 

「おてんま」のほうは「伝馬」からきているのかもしれない。江戸初期に幕府は街道に伝馬制度を整えた。物資輸送を馬のリレーでおこなっていく制度である。これは村の人たちからするとはなはだしく迷惑なもので、命令があると農耕馬を連れて街道にいかなければいけなかった。忙しい時期などはとんでもないことである。しかし「お上」からの命令だからと渋々従った。その代わり百姓たちもしたたかに抵抗した。輸送途中で少しずつ荷を抜く、つまり失敬するのである。百姓から百姓へとリレーしていくのだから、みんなが不満をもっている以上ばれることもない。これには武士も手を焼いたらしい。出発点にあった荷物は到達点では半分くらいになっているのが普通だったらしく、しかも取り締まりようがない。結局江戸中期になると輸送業者による長距離輸送、これと「通馬制」といったが、に切り替えられ、伝馬制は廃止された。
この「伝馬」のことを村では「御伝馬」と呼んでいた。形式的には「お上」の仕事だからである。「お上」の仕事である以上、建前は天下国家のため、みんなのためである。だから伝馬制がなくなってから、みんなのためにする仕事を「おてんま」と呼ぶようになったのではなかろうか。村の古文書には「御伝馬」と書いて、わきに「おてんま」とカナがふられているものがある。古文書にも当て字も多いから完全には確信はないが、私はこのように推測している。

最後に

みんなのためになることを、みんなでするというような「おてんま」の精神が、今の時代にはより求められているのではないかと思います。

「おてんま」のようなローカルだけど素敵な言葉は、日本中にあると思うので、そんな知られていないけど地元の人にとっては当たり前の言葉を探してみるのも面白いのではないでしょうか。

それではまた〜!

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