若者を中心に、地域のつながりやコミュニティのあり方を問い直すような動きが次々と生まれています。地方に限らず、東京の至る所でも人々がつながりを求めて、新たな場が形成されてきています。
コミュニティといっても、その規模は様々であり、一人の人が多くのコミュニティに参加し、多層的に活動をしている場合もあります。
今回は、閉じたコミュニティではなく、開かれたコミュニティであることの重要性についてです。
コミュニティの力は、外の世界と結んでこそ力が発揮される
ごく小規模の人数で、その内輪で楽しむことを目的にしているのであれば、周りがアクセスできない閉じたコミュニティであっても何も問題はありません。
ただ、コミュニティは多くの場合、そのコミュニティ内部だけで成り立っているのではありません。外部とのつながりがあるからこそ、コミュニティがうまく成り立っているのです。
内山節さんの著書『ローカリズム原論』には、東日本大震災によって、「開かれたコミュニティ」であることの意味が明らかになったと記述されています。
コミュニティという視点から考えていくと、東日本大震災でひとつ明らかになったことがあります。それは、コミュニティの力は外の世界と結んでこそ力がでるということです。どういうことかというと、被災地の人たちが避難所に行って、そこで自分たちの力だけでコミュニティをつくって生きていくのは難しい。そこにボランティアの人、物資を運んでくれる人、義援金を送ってくれる人、間接的に自分たちの生活の中で買い物を少し手控えたりして被災地に物資がいくように考えてくれる人、そういういろいろな人がいてはじめて被災地の生活もコミュニティも成り立つのです。
2016年4月14日に起きた熊本地震でも、外部人たちの助けがあってこそ、現地の人々の生活が成り立っていた部分が大きくありました。
この開かれたコミュニティという概念は、国、市町村、地区、家族など、どんな規模のコミュニティにおいても参考にできると思います。
地域を盛り上げたいなら、開かれたコミュニティであるべき
地域を盛り上げていくためには、外部からの人や情報を積極的に取り込んでいくべきだと思います。
例えば、地域活性化がうまくいった事例として挙げられる島根県海士町は、積極的に外部から人を呼ぶために、さまざまなプロジェクトを行ってきました。
参照:島根県海士町に人が集まる秘密とは? 「役場は住民総合サービス会社」という山内道雄町長の改革
上記の記事には、少子化と過疎化が原因で、2008年度には生徒数が30人を切っていた島根県立隠岐島前高校に、プロジェクトを皮切りに、学級を増やすまでに子供達が集まってきたり、キャリアを持つ現役世代のIターン者が移住してきたりと、外部からの人が流れ込んできています。
海士町には、豊かな自然とそこに暮らす人々の魅力があり、開かれたコミュニティであるからこそ、行きたいと思える地域になっているのではないでしょうか。外からの影響は、コミュニティを継続させるためには欠かせないものなのです。
開かれたコミュニティであることの大切さにいち早く気づいていたのも、海士町の人々だったのではないかと個人的には思います。
閉じたコミュニティに向かうアメリカ
閉じたコミュニティへと進もうとしているのが、今のトランプ政権のアメリカです。もともと移民の国ですが、トランプ大統領になり、自分たちの「利益」を守るために一部の外国からの移民を入国禁止にしました。
開かれたコミュニティから、閉じたコミュニティに向かいつつあるのです。短期的に見れば、それが自分たちの利益になるのかもしれませんが、長期的に見ると、アメリカのためにならないのではないかと感じます。
閉じたコミュニティであることのメリットもありますが、そのコミュニティの維持や発展という面から見れば、閉じていることでのデメリット方がはるかに大きいのではないでしょうか。
最後に
今回は、開かれたコミュニティと閉じたコミュニティについて考えてみました。
閉じたコミュニティであり続けると、その先は衰退していく未来しかありません。過疎化が進む地方自治体は、地域の維持・発展に向けてどのように、外部の人とどのように交流し、地域に入りやすいように門戸を開いていくかを考えることが重要になってくるでしょう。
ただ、人を呼び込むことが、地域にとって絶対的に善であるという考えにとらわれることは良くありません。地域に暮らす人々の気持ちや想いを第一に考えながら、コミュニティをつくっていくという考え方が大事なのではないかと思います。
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