NPOやNGOなど、社会的に善い事をする人から漂う胡散臭さについて。

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社会貢献活動をしている人に対して、「胡散臭さ」を感じたことありますか。

善いことをしているけど、結局は自分の名誉や承認欲求のためにやっている、偽善行為であるような「クサさ」です。

以前、僕も社会貢献活動をしている時期があったので、その内部にいた時のことを踏まえながら、この「胡散臭さ」に関しての話をしたいと思います。

善いことをする人から漂う「クサさ」

社会貢献活動に従事する人たちに、批判的な意見を持つ人がいます。「NPOで働いている人は、補助金をもらって自己満足の活動をしている」、「社会のために行動しながら、実際は自分の利益のために動いている」などという批判は、僕も聞いたことがあります。

僕が、社会貢献活動に参加していた時の動機としては、社会問題に直接の形で貢献したいと思う気持ちを持っていた反面、自分の存在価値を見出したいというような理由もあった気がします。また、多くの貢献をすることで、周りからの評価も上がるだろうという期待もあったと思います。

周りの仲間を見てみると、彼らも社会を良くしていきたいという気持ちを持っていましたし、立派な考え方をしている人もいました。ただやはり、どこかでこの活動をおこなっていることに対する自負心のようなものを感じました。

何はともあれ共通しているのは、善いことをして他人に貢献し、その結果、自分が満足したいということだと思います。それが「クサさ」として現れるのです。

善いことをしようとする時点で、真に善くはなれない

善いことをすると、その結果なんらかの対価がもたらされます。助けた人からの感謝の気持ちだったり、実績であったり、名誉だったりと、人はそれを手に入れると、必ずどこかで喜びを感じると思います。

つまり、善いことをすることによっての見返りを求めず、真に善くなること不可能であって、社会に貢献し、やり遂げたという自負心からは逃れることができないのです。そういった意味では「クサさ」はどこかに漂っているし、偽善者といわれても完璧に否定することはできないでしょう。

偽善とは「本心からでなく、うわべをつくろってする善行」という意味で辞書に載っています。偽善の尺度も人それぞれで、本当にうわべだけの人もいるし、まったくそれを感じさせないような善い人もいます。ただ、どこかでほんの小さくとも自負心が生まれてしまうでしょう。

社会貢献活動をしている人は偽善者であるという言説は、正しくもありますが、そもそもその問い自体が正しい問いだとは言えないのです。

社会の課題解決のために働いている人は、かっこいい

「真に善い人間」がこの世にいないように、NPOなどやNGOなどの活動している人であっても、真に善い人間」なんかいないのです。

NPOやNGOが自分よがりな善いことをして、逆に支援対象者を不幸にするといった例もあるので、社会的に善いとされることを行っている人たち全員が、立派でいい人だとはまったく思いません。

しかし、やはり社会に貢献することを生きがいに、文字通り人生をかけて仕事をしている人がNPOやNGOなどにはたくさんいます。自分の信念や目標に向かって努力をしている人たちは例外なくかっこいいものです。

最後に

社会貢献活動をしている人から感じる「胡散臭さ」についての話をしました。

批判するだけで、何も善いことをしない人は、明らかに善い人にはなりえません。一方で善いことをやっているという自覚がある人も、真に善い人にはなれないのです。

ただ、「やらない善より、やる偽善」という言葉があるように、困っている人を助けられる状況があるときに何もしないのではなく、すこしでも手を差し伸べられるように一人ひとりがなれば、より暮らしやすい社会になるんだと思います。

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