東大と医科歯科大医学部を中退した伝説のボディービルダー、マッスル北村さんの生き方

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ボディービルに人生を捧げ、またタレントとしても活躍していた「マッスル北村」こと、北村克己さんをご存知でしょうか。彼は2000年に極限まで減量を行った結果、急性心不全を引き起こし、39歳の若さで亡くなりました。

最近彼のことを知り、その考えや生き方にとても感銘を受けました。

今回は、彼の人生とその哲学を紹介したいと思います。

浪人時代にボクシングに出会い、世界レベルの男を目指す

進学校である東京学芸大学付属高校に通っていましたが、その頃からなんらかの形でスポーツで一旗揚げたいと考えていました。

東大を目指すきっかけは、卒業式の時に後輩の女の子たちに、「先輩もちろん受けなら東大なんでしょ」と言われ、心にもなく同意をしてしまったので、その落とし前をつけるために、志したそうです。

浪人時にたまたま立ち寄った古本屋で、漫画「あしたのジョー」と出会い、「 自分はまだ完全燃焼してない」「白い灰になりきっていない」と自覚し、とにかくボクシングで一旗あげようと浪人時から体を鍛え始めました。

二浪目から、ボクシングジムでのトレーニングを始めましたが、すでにパンチマシーンを壊すほどのパンチ力を持っていました。しかし、いざ対人間との殴り合いが始まると、これまでのサンドバッグのトレーニングとは違い、それが男のロマンに見えなかったそうです。彼は、パンチが相手を傷つけると、自分がそうされたら痛いと思ってしまい、力を込めたパンチができなかったのです。

二浪して入った東大にも、ちゃんと通ったのは入学式から数えて1週間ほど。大学をサボり、一日中縄飛んだり走りこんだり体を鍛える日々を送りました。たくさんスポーツやってきたけど、そろそろなんかのスポーツに集中し、それで世界レベルになりたかったそうです。

東大を中退したのも、小さい頃から、汗を流して燃え尽きた後の爽快な感じが大好きで、その「生きている」感覚が、学問を追求する喜びより勝ってしまったということが根本的な原因でした。

東大中退後、東京医科歯科大学医学部に進学するも5年後に中退

ボディービルの大会で優勝し、ある程度ボディービルの世界が見えてきたところで、医学部を志します。医科歯科大を再受験した時は、自分の可能性や限界を見極める先には、ただ、自分が強くて孤高の人になるためにじゃなくて、そのエネルギーをなにか人の役に立てたいと思ったからだそうです。

しかし、彼いわく、秋になると勉強したくなるけど、春を過ぎ夏になって日差しが高くなると体が黙っていれなくなるそうです。彼にとっては何よりも大切なのは勉強よりも、結局は体を鍛えて動かすことだったのでしょう。

数々のタイトルを獲得するも、ドーピング疑惑で国内大会の道が閉ざされる

彼は、ボディービルダーとして国内外問わずさまざまなタイトルを獲得してきました。

しかし、筋肉増強剤の使用を疑われ、そのトラブルから、国内の大会に参加するボディービルダーとしての道が閉ざされてしまいました。

そのため、彼は新しい道に進んでいくために、海外の大会に活躍の場を広げて生きました。また、タレントとしても活躍しました。

39歳という年齢で若すぎる死

彼は常人には考えられないほど過酷なトレーニングを積んでいました。そのため、救急車で病院に搬送されたことが何度もあります。

亡くなる数日前にも倒れて救急車で運ばれており、身を心配した実の妹が「めまいがしたらアメを舐めて。アメでいいから」と懇願するも、「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断っていたそうです。

この熱情が結果的として異常な低血糖状態をもたらし、急性心不全を引き起こして亡くなりました。

文字通り、ボディービルに人生を捧げた彼の一生でした。そんな彼にとっては、幸せな人生だったのではないかと思います。

マッスル北村、島田紳助の対談動画

彼は生前、元タレントの島田紳助さんと対談をしていました。彼の優しさが溢れる人柄と、生き方が感じ取れます。

彼の言葉の中から非常に感銘を受けたものをいくつか挙げてみたいと思います。

一生懸命勉強しようとする人にとっては東大は天国かもしれないけど、僕にとってはそれは耐えられなかった。

 

小さい頃から、汗を流して燃え尽きた後の爽快な感じ。生きているぞっていう感覚が、学問を追求する喜びより勝ってしまった。

 

肉体的限界を追求する。自分の知的限界を極める。精神的限界を見極める。絶えずこの3本が頭の中に回っていた。

 

人間の魅力ってね、端から見たら東大、医科歯科大。そのなかで落ちこぼれ。だから、人の幸福とかそういったものは、決してステータスとか外枠からの眺めだけじゃわからない。自分がちょうど大学に行かない間いろんなバイトして、多くの人に接することができたことを感謝している。そうしたら、人間の人生っていうものは、親は泣いても、東大に固執しなくてもいいじゃないかと。もし再び入りたくなれば再び一生懸命勉強して再受験すればいいじゃないかと。

 

ほんとに自分の好きなものを見極められないでやっていると、どうしても心がこもっていかない。そういう意味で自分の好きなことをわがままだけど、やってきた人間ってのはやっぱ仕事に対する愛情ってのがあるから、なんかそこに暖かみがある。

 

とにかく納得しないとだめなんですよ。行き先は崖っぷちだとわかっていても、行ってみて崖から落っこってみないとUターンきかない。

 

自分の可能性はなかなか社会で発揮できない。必ずしもみんながみんな与えられた環境の中で自分の可能性が見えない。トレーニングしている瞬間っていうのは自分が自分の掟でいられる。自分が自分のマスターであって自分の生き方に対して責任を持てる唯一の部分って言うのかな。

 

トレーニングに埋没していくっていうのを奇人変人として捉える見方もあれば、アウトサイダー的なアウトロー的な自由な生き方という見方もある。だから自由の中には孤独がありますよ。自由に疲れて孤独に疲れると安らぎを求める。ただ、安らぎには縛りが入ってくるんだけど、ここらへんをうまく生きていかなくてはいけない。

さいごに

彼の生き様を知り、久しぶりに心が揺さぶられるほどの衝撃を受けました。

ボディービルは人生であり、自分の限界に挑戦している途中で、死ぬことができたのは、不幸ではなく、彼にとっては幸せだったのかなと思います。

彼は「自分の人生を生きる」ということを体現していました。僕も、彼みたいに自分の人生を燃やして、真っ白な灰になれるような生き方をしていきたいです。

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