ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)の名著、『モモ』。
なんでもっと早くを読まなかったんだろうと思うほど、『モモ』はメッセージ性に富んだ素晴らしいもの語りでした。
概要を簡単に伝えよう思ったのですが、本書の翻訳者があとがきに書いた文章が、すごくわかりやすい。
「時間がない」。「ひまがない」ーーこういうことばをわたしたちは毎日聞き、自分でも口にします。いそがしいおとなばかりではありません、子どもたちまでそうなのです。けれど、これほど足りなくなってしまった「時間」とは、いったいなになのでしょうか?
機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです。
このとらえどころのない謎のような時間というものが、このふしぎなモモの物語の中心テーマなのです。
時間とひまがない日々を過ごす僕たち
学生時代は、自分の時間がたっぷりあったため、特に意味もなく公園でぼーっとしていたり、人が行き交うまちを、あてもなくぶらぶらするという時間が、日常の中にありました。
友達、家族、初めましての人、人とのたわいもない会話もたくさんあったように思えます。
現在は、朝から外が暗くなるまで仕事に追われ、休みの日はつかれて外にもでれないというような感じです。
ようは、仕事でいっぱいいっぱいで、自分がほしいと思う時間とひまが足りていない状態です。時間とひまが足りていないと、忙しいが口癖になり、だんだんとこころにも余裕がなくなってきます。
仕事をしていると、経済的にはまちがいなく豊かになっていくけれど、こころはだんだんと貧しくなってきているように感じることもあります。
なにを求めてそこまで働いているのか、せわしなく生きる僕たちにとって、大切なことってなんなのだろうか。
仕事を理由に、一番大切にしなくてはいけないものを見落としてしまっているのではないか。
人間が人間らしく生きることを可能にする時間
はじめて海外に行って、現地の人々から感じた魅力というものを今考えてみると、彼らが「人間らしく生きることを可能にする時間」をたくさん持っていたこと。
そしてなにより、「人間らしく生きることを可能にする時間の上手な過ごし方」を熟知して過ごしていたことだったのだと思います。
人間らしく生きるってなんぞやと思う人は、とりあえず『モモ』を読んでそれを感じてほしいです。
最後に
仕事をしていても、時間とひまは作ることができます。
でも、「人間らしく生きることを可能にする時間」がなくなっていると感じるのは、まちがいなく仕事に追われる日常のなかにあったり、日々生産的でありたいと思う生き方にあったりします。
仕事を否定する気はまったくありませんが、もうすこし「人間らしく生きられる時間」がどうにかならないものかなと思います。
それは、物理的な時間だけではなく、考え方や心の持ちようの問題だったりもします。
『モモ』は定期的になんども読み返したいと思いますし、もうすこし『モモ』が問いかけるテーマについて考えたいです。
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