沢木耕太郎の著書『僕らの流儀』は33編もの作品が収録されています。それぞれの作品は短いながらも、一人の人間の人生が凝縮された中身の濃いもの話となっています。
その33編の中で私が一番好きなのが『ネクタイの向こう側』の話です。
『ネクタイの向こう側』
ネクタイの向こう側に登場する男性は、丸の内に勤務する既婚で子持ちのサラリーマンです。
彼は、お中元の品を商品券に換えるためにデパートへ寄った時に、ネクタイ売り場に立ち止まりました。学生の頃、同年代の男に、高価で自分が欲しかったネクタイを目の前でサラッと買われた記憶を思い出して心がうずいたからです。敗北感に打ちのめされ、「今に見てろよ」と心に誓ったその時の記憶です。
そして売り場を二、三歩離れたときに、彼はさっきの心うずきとは比べものにならないくらいの深い物哀しさに襲われました。自分が、あの高価なネクタイの前に広がっていた人生の可能性の、ほんの一部しか生きてこなかったことを思い知らされたような気がしたからだ。
『ネクタイの向こう側』から何を感じるのか
内容を簡単に説明しましたが、実際に本を手にとって読んでみてほしいです。
主人公の男性は、丸の内で勤務をしているというからには、おそらく偏差値が高い大学出て、立派な企業に勤めているのでしょう。家庭も持ち、子供もいる。それはすごく良い人生を歩んできたんだと思います。
ただ、ふとしたきっかけで昔を思い出して、物哀しさに襲われるのです。
主人公の彼が、「今に見てろよ」と心に誓った時に何を考えていたのかはわかりません。しかし、その時に心に誓った野望のようなものを、何一つ実行できていなかったという現実に気がついたことは確かです。
あとは無難に「無事」死ぬことだけ。
後悔しない人生を生きる
上記のサラリーマンのような生き方に幸せを感じる人もいると思います。また、一方でそんな生き方はしたくないと思う人もいるでしょう。
ネクタイの向こう側の主人公は、どっちかというと後者のタイプだったと思います。おそらく、これからも「無事」である幸せを感じつつも、後ろ髪を引かれる思いを持ちながら生きていくのでしょう。
人生に正解なんてなく、望み通りにはうまくいかないものが人生です。ただ、例え望み通りにいかなくても、後悔だけは残さない人生を歩んでいくべきなのではないかと僕は思います。
さいごに
心はまだまだ若いつもりでも、気がついたらあっという間に大人と呼ばれる年齢になりました。人生は自分が考えている以上に短いものなのかもしれません。
今行きたい場所や会いたい人、挑戦したいことがあるとすれば、思い立ったその時から行動に移す努力をしないと、おそらく後に後悔する事になるでしょう。
自分が学生時代や子供の時にやってやろうと心に抱いていたものをどれだけ実現してこれたのか。そして、今自分がやりたいと思う事にどれだけ正直に向き合えているのか。
僕自身、しなかった後悔ではなく、何かをしたために生じる後悔をたくさん経験する姿勢を常に持っていたいと思っています。
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