現代に生きる僕たちの「正しさ」が、自分の首を絞めている。

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僕たちは、日本に生まれてほんとうに幸せなのだと思います。食べるのに困らず、寝る場所があって、社会保障制度もしっかりと整備されています。

そうはいっても、みんな必死になって自分の生活や環境を守りながら生きているのです。そんな中で、社会に漂っている空気感を息苦しく感じる人もいるでしょう。この息苦しさは今に始まったことではなく、何十年も前からあったのかもしれません。

「数年後はこんな世界だろう」などという予想まったくつかない世界に生きている僕たちは、その不確実さを前にして不安を抱えているからこそ、何かしらの「正しさ」を強く追い求めている気がします。

「悪」を徹底的に無くそうとする余裕の無さ、「善」を盾にし、人の心を大事にしない

大多数の人は、他人の非難にされないようにと縮こまり、失敗をしないように、他人の迷惑にならないようにと務めています。その結果、自分が叩かれないように、失敗しないように行動してるからこそ、他人の失敗には対しては決して容赦をしなくなり、隙があれば他人を徹底的に非難して追い詰めていくようになります。

SNSで悪ふざけ投稿した人を、徹底的に叩きのめしたのが良い例かもしれない。一度でも大きな失敗をしてしまったら、「正しさ」という正義を掲げて、更生の機会がなくなるほど徹底的に叩く。

極端な話ですが、電車が5分遅延しただけで、怒って車掌さんにつばを吐くサラリーマンが現実にいるのです。他人の行動ばかりに目が行き、自分の行動すら省みることができなくなってきてるのです。

表面的には正しくなくても、役に立っていたものがどんどん無くなっていく

近年、組み体操の是非が問われていました。確かに、体を動かす以上は、怪我のリスクがあります。だからといって、一方的に廃止するのもどうかと思います。学生時代は特に、誰かのためになるわけでもないけど、皆で何かをやり遂げるという理屈ではない達成感を味わえる機会が多いです。そんな一生懸命皆でやり遂げる経験って、大人になってからやってよかったと感じられるものじゃないでしょうか。

近隣の住民に迷惑になるという理由で、遊ぶことができない公園が増えています。子供にとって、遊ぶことができない公園の価値はほとんどありません。確かに、近隣に住む人に迷惑をかけたら良くありません。だからといって、ルールを決めることで失うものも大きいです。公園で友人とはしゃいで遊び、時には危ないことをしながら子供は成長していくのです。

僕らの掲げる正しさの先にあるものってなんだろう

確かに、これまでの日本は何もかもきっちりして、ハイレベルな正しさを求めてきたからこそ、世界に誇れるものづくりをしてきて、ここまで経済的に発展してきました。だけど、その正しさを追求した結果、人々からなにか大切なものが失われてしまったのでしょう。

「正しさ」を求め続けているから、その正しさの矛先が自分たちに向き始めて、結果として自らの首を絞めているのです。

生きづらくて窮屈で、おおらかさのかけらも無くなっている人で溢れる社会になっているのです。

僕らが求めている社会とはなのだろうか?

経済的に発展したからこそ、この先どういう社会を作っていきたいのかを一人ひとりが考え、行動すべきなんじゃないでしょうか。

経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスで言えば、日本は明らかに前者が行き過ぎています。

幸福度をはかるものさしとして「笑顔でいられる時間」が挙げられます。このままの暮らしを続けていく先に、笑顔でいられる時間が増える社会がくるのでしょうか。

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