誰しも一度くらいは、他人から「〇〇らしくっていいじゃん」などと、「自分らしさ」を指摘されたことがあるのではないでしょうか。
僕も、友人から言われたことがありますが、その際は毎度、「自分らしさ」ってなんだろうと頭の中がモヤモヤしていたのを覚えています。
さて、こんな話をしたのも、哲学者の鷲田清一さんが自身の著書『じぶん・この不思議な存在』の中で、自分らしさは自分の内部からは絶対に見つからないと言い切っています。
本書では、このように言っています。以下、引用です。
「じぶんらしさ」などというものを求めてみんなはじぶんのなかを探しまくるのだが、実際わたしたちの内部にそんなものあるはずがない。もしそのようなものが潜んでいるなら、そもそもそういう問いに囚われることもないはずだ。
それより、じぶんがここにいるという感覚のなかに身を置くためには、目をむしろ外に向けて、じぶんはだれにとってかけがえのないひとでありうるかを考えてみたほうがいい。
よく考えて見ればあたりまえなことで、仮に世界に自分一人だけなら、自分らしさなんてそもそも意識することすらないでしょう。
自分ではないほかの誰がいて、他人との関わり合いがあるから、自分自身とはどんなのかというのがわずかながら認識できるのです。
「自分らしさ」なんていらないのかも
「自分らしくありたい」と誰しも思うのではないでしょうか。僕も、学生時代は特にそんな思いを抱いていたように思えます。もちろん、いまでも少なからず「自分らしさ」を探し、求め続けているのかもしれません。
ただ、「自分らしさ」に執着し、それに強くとらわれている時期に、あんまり良い気持ちになれるとは思えません。むしろ、精神的にしんどいです。
鷲田さんは以下のように言います。
わたしたちは、じぶんらしくあることをじぶんに対し過剰に求めすぎる。こんなもの、名前を失うだけで大部分瓦解してしまうのに、である。
「わたしらしくあらねばならない」、そういう脅迫観念にだれしもがんじがらめになっている。だから、じぶんという存在がぼやけてしまうほうが心地よいこともある。存在にゆるみやすきまができるからだ。
「自分らしさ」に縛られてもしんどいし、かといって「自分らしさ」を探し追い求めたいと感じる気持ちもある。
そして、そもそも「自分らしさ」とはなにか。「自分」ってなんだろう…?
鷲田さんの文章は、難しいことをわかりやすく、そして読者を答えの出ない本質的な問いといざなってくれます。
それでは今回はこの辺で〜!
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