ローカルなものを足場にしながら、新しい世界像を模索する。内山節 著『「里」という思想』

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グローバルな大きな世界と向き合っていくためには、ローカルな小さな世界をしっかりと築いていくことが大切であると、内山節さんが著書の『「里」という思想』のなかで語っています。

以下、『「里」という思想』からの引用です。

二十世紀の世界は、確かに統一、統合の方向に向かった。1980年頃までは、資本主義、社会主義という二つの基準で世界は統合され、いまでは資本主義的な市場経済が、世界の唯一の原理になったかのごとき様相をみせている。そして、いうまでもなく、この世界統合を促進したものは、経済であり、政治であり、軍事力であった。

とすると、世界が統一、統合をとげていく先に未来があるという発想は、経済や政治、軍事力によって、人間の未来がつくられると私たちが考えていたことにはならないだろうか。ところが、二十世紀の終わりになると、私たちは、経済発展にまきこまれつづけることに疲れを感じてきた。これまでのようなかたちでの政治に厭きてきた。軍事力を頼りにする時代が、夢のある時代だとも思っていない。今日では、世界を統一、統合してきた要素そのものが、色あせてみえる。

このような気持ちの変化が、私たちそれぞれが暮らしている場所をとらえる目を、養ってきたような気がする。こうして、大きな世界から小さな世界への視点の移行がすすんだ。

地域、コミュニティ、自然と結ばれた暮らし、新しい共同体、これからの人間同士の関係、さまざまな文化、地域主権、参加、ボランタリーな活動。今日私たちが、これからの私たちの暮らしの指針として用いている言葉は、どれもが小さな世界を基盤にするものばかりである。

もちろん、人間たちは、大きな世界のことを考えなくなったわけではない。最初の一歩として大きな世界に足をかけるのか、それとも小さな世界に足をかけるのかを、変えただけである。まず最初に大きな世界を構想し、その大きな世界との関係で小さな世界を考える発想から、自分たちが暮らし、責任のもてる小さな世界をそれぞれが創りながら、その小さな世界のネットワークとして、大きな世界をもみていこうという発想へと、転換しはじめたのである。

自分たちが暮らし、活動していくローカルな世界。このローカルな世界をもっていることによって、私たちは、他のローカルな世界にでかけたとき、そこに自分たちとは異なる人間たちの世界があることを発見し、そこから相互的な交流をすすめることができる。ローカル性にこだわることは閉じられた世界で暮らすことではなく、大きな世界と交流するうえでの自分の足場をもつ、ということであろう。

フランスの哲学者、リオタールは、真理はローカルなもののなかにしか存在しないと述べている。私もそう思っている。たとえば自然とは何か。その真理は、その自然とのかかわりながら暮らしている人々のローカルな世界にしか存在しない。たとえば人間はどう生きるべきか。その真理もまた、その地域の自然や歴史、風土といったものを基盤にする、ローカルな世界のなかで考えられるものだろう。部族の結束をとおして砂漠で生きてきた民と、森のなかで暮らしてきた民とが、同じ答えを出すのはかえって不自然である。

私たちはいま、ローカルなものを足場にしながら、新しい世界像を模索しはじめている。

自分の基盤はローカルなものから

グローバルな大きな世界を理解するためには、ミクロな視点で物事を見る力が必要です。

風土や文化などの思想的なことや、家族や身近にいる人びととの関係性をもつことで、ミクロな視点で物事を見る目を養うことができるのではないでしょうか。

関連記事:風土を知ることが、グローバル化を理解するために一番必要なことである。

人がよりよく生きるためにも、まずはしっかりと自分自身がよりどころにできるローカルな世界をもつことが大事だなと、改めて内山さんの文章から感じます。

それではまた〜!

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