毎日やり続けたいと思うことや、ついつい熱中してしまうことがあるということが、これからの強みになってくるのではないかとふと、思いました。
何かに特定の分野について熱中し、没頭してしまう人のことを、少し前はオタクなどと呼んでいましたが、オタクになれるというのはまったくマイナスなことではなく、確実にその人の長所になる。
なにか興味のある分野を一つの畑だとすると、毎日耕しつづけたいと思う畑を持ち、そしてその畑を耕すことが習慣になっている人が生きやすい世の中に、これからはどんどんなっていくのだと感じています。
人生をかけて耕したい畑をみつける
こんな人生を送りたいとか、将来的にあんなことをやっていきたいなどと、誰しも、自分の生き方だったり、人生をかけてやりたいことを探すような時期があると思います。
僕自身、現在進行形で、手探りで探し続けています。そして、これから先も、死ぬまで探し続けていくのではないかなと感じています。
でも、幸運なことにある分野について、追求していきたいと思える「畑」を見つけることができています。そして、少しずつですが耕しています。
今を思うと、学生時代は耕し続けたいと思う畑が見つからず、必死にもがいていました。先が見えないなかで、失敗しながらやっとのこと、これが自分の人生をかけて耕したい畑だと思えるものができました。
毎日耕して、畑を広げていく
農業と同じですが、畑を持っていても定期的に手入れをしないと、だんだんと畑が荒れていきます。
毎日手入れをしていれば、荒れていくことはないし、広げようと思えばだんだんと畑の面積を広げていくことができます。
自分にしか耕せない畑を持っているという人は、ある種の才能があるのだと思いますが、僕は凡人なのでそんな畑はもっていません。
たぶん、世の中の大抵の畑は、だれにでも耕せるものです。でも、耕したい畑を見つけて、毎日耕し続けることは、誰にでもできることではありません。
畑を見つけることはできても、一年で耕作を放棄してしまったり、たくさん畑を見つけても、どれも手付かずで中途半端になってしまったり。
このブログも畑なのかもしれない
僕がブログを書いているのも、これがひとつの畑なのかもしれません。
下手で、内容もつまらないものが多いけれど、自分の考えを文章にして表現することの楽しさや良さを知っているからこそ、定期的に続けられているのだと思います。
「文章を書いて表現する畑」を耕し続けている人といえば、本ブログでもたびたび紹介している「ほぼ日」の糸井重里さんでしょう。
「今日のダーリン」は、20年以上毎日続いています。文章を書くなんてだれでもできることだけれど、この畑をこれだけ耕し続けている人は、糸井さんしかいないでしょう。
追いつこうとする者がもはや追いつけないほど、耕し続けた畑は、結果として実り豊かな作物を実らすのだと思います。
畑が荒れて、栄養が足りない土では、良い作物ができませんよね。
違う分野の畑が繋がると、すごいことが起きる
畑をたくさん持っていて、どれも中途半端ではしょうがないですが、長く耕し続けてた畑をいくつか持っていて、それぞれの土地同土が有機的に良いクオリティーで繋がったときには、すごい「化学反応」が起きるのではないかと思います。
こう書くと、藤原和博さんの「100万人に1人の存在になる方法」を思い出します。
1万時間かけてある分野を極めると、100人に1人の人材になれる。もう一つの分野で、一万時間かけると、1万人に一人の人材になれる。さらにもう一万時間かけて、ある分野を極めると、100万人に一人の人材になれる。
違う分野の畑が繋がると、きっとおもしろいことが起きてきます。
最後に
自分の畑を見つけること、そして粘り強く耕し続けること。
ただ、継続とは毎日同じ作業をひたすら繰り返しつづけることではなく、ほんの少しずつでもいいから、変化を加えていくことが大事なのだと思います。
そして、畑を放棄してしまえば作物は一切育たないので、毎日の手入れは無理だとしても、定期的にメンテナンスすることが大切なのでしょう。
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