「経済」という言葉は、ニュースを見たり新聞を読んでいれば必ず目にします。
馴染みのある言葉ですが、その語源を知っている方はどれくらいいるでしょうか。
僕がその由来を初めて知ったのは、デザイナーとして活躍している太刀川瑛弼さんの著書『デザインと革新』を読んだときです。
今回は、「経済」という言葉の語源をたどりながら、経済のあり方について少し考えてみたいと思います。
世を治めて、民を救う
経済は、古代中国の「経国済民」または「経世済民」の略したものです。国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語としてもともと使われていたようです。
日本では、江戸時代の学者用語として使われはじめ、理念的な政治政策の意味として用いられていたようですが、しだいに経済運営の意味で使われるようになりました。そして、明治時代に入り、「economy(エコノミー)」の訳語として選ばれ、現在用いられる意味で定着していったのです。
参照:語源由来辞典「経済」
エコノミーの語源である、ギリシャ語の「オイコノミア」も、「オイコス(家)」と「ノモス(法」という言葉を組み合わせた言葉であり、家族や仲間、国や地域などの共同体のあり方を考えるという意味で使われていたようです。古代中国の「経世済民」に近いものを感じますね。
参照:語源をたどる
人々のために経済があり、仕事は人々の幸せのためにある
僕が、経済の語源について知るきっかけとなった太刀川さんの著書『デザインと革新』には、さまざまな課題が山積みとなっている今、改めて経済の語源である「経世済民」の精神に立ち返ることの大切さが語られています。以下、引用です。
僕たちは、いま市場が支配する近視眼的な社会を生きています。貨幣は価値の対価だったはずですが、残念ながら貨幣と価値のバランスは崩れ、理想的には機能していません。
手で価値を生み出す人は虐げられて減少する一方で、市場にとって最も収益効率の良いビジネスは、格差を広げる「金融ビジネス」、価値を破壊する「戦争ビジネス」、環境負荷の責任を取らない「公害ビジネス」だという、何とも絶望的な状態です。
この市場の暴走は人類史上最大の失敗です。その歪みは、公害、人口爆発、食糧危機、災害発生率の急上昇、難民問題、エネルギー問題、生物多様性の喪失など課題として噴出し、もはや人類史を危うくするほど肥大化しています。
経済とは、そもそも経世済民つまり世を経(おさ)め民を済(すく)うという言葉からきています。課題ばかりで暗雲漂う現代こそ、世界の経済はこの精神に帰ることが求められるでしょう。そのでは革新的な関係性(イノベーション)を生むチェンジメーカーが活躍するはずです。
人々のために経済があり、仕事は人々の幸せのためにある。
これからの時代、というよりはもうすでに、社会のために貢献できる事業でないと、顧客からの支持が得られない状況になってきていると感じます。
近年、社会起業家という人たちがピックアップされるようになってきましたが、もはや社会起業家うんぬんではなく、前提としてビジネスを行う誰しもが社会課題の解決するという視点をもてないと、継続的に成長できるビジネスができないでしょう。
関連記事:ビジネスを通じた社会課題解決を目指す、ソーシャルビジネスとは?
最後に
「経世済民」にしても、「オイコノミア」にしても、経済の語源は人々のためにあるということでした。
ただ、今の世界経済が人々のためになっているかというと、すぐにイエスと断言することは難しいです。
多くの弊害が目につくなかで、単に理想論ばかり語っても意味がありません。そもそも経済のあり方に、「正しい答え」なんかないでしょう。それでも、一人ひとりの行動が経済をつくるということを頭の片隅においておくだけでも、いいんじゃないかと思います。
それではまた〜!
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