傷だらけになって大きく後退しても、前に進むしかない。

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本ブログで、度々紹介している藤野英人さんが、Facebookで「失敗」について、こんなことを言っていました。

毎日毎日の生活って、平凡に過ぎているように思いながら、毎日毎日サイコロを振っているようなものだ。サイコロは普通のサイコロのように1から6までの数字があるわけではなく、ものすごい数の面がある多面体で、出目の内容もほぼでたらめに結果が出る。運命論者にはなにかその前のその人の生き方と関係あるように思うだろうけど、多くの結果はただデタラメで真面目に生きようがそうでなかろうが、その瞬間の出目というのはすごく偶発的に思える。

今話しているのはファンドの運用の話ではなく(広い意味でも含むかもしれないが)プライベートも含めた生きていること全体の話だ。突然に交通事故に合うかもしれないし、心臓発作で倒れるかもしれない。もちろん健康生活をしていれば心臓発作になる確率は減るのは間違いないが、なにかのはずみでそうならないとも限らない。

ビジネスにおいても頓死のようなこともあるし、一方で考えられない追い風に乗って、期初の予想とは考えれない数字を叩き出すこともある。多くは才能や努力がモノをいうが、残念ながら才能や努力だけでは到達できないところや思いがけない不運にあうこともある。

今日は玉手箱のようなものを受け取った。開けるとまずい類のものだ。玉手箱の中身はわかっている。多面体の面の多くがまずい内容のものだ。健康とかそういう話ではなく、広い意味での「仕事」の話ではあるが、これは開けたくもないしましてや振りたくもない。でもこれは自分の責任で開ける必要があるし、勇気を持ってサイコロを降る必要がある。そして出目が悪かろうとも受け止めて前に進むしかない。もちろん、気合でよい目になることを祈るしかないが、結果はだいたい確率通りになる。

自分の努力やコネや才覚には関係なくただ待ち、受け入れるしかない。結果がどうあってもだ。出目の結果はどうしようもないが、その結果を受け止めて前に進むことはできる。傷だらけになって大きく後退しても前に進むしかないし、結果がたまたまよかったら、その運を感謝し、怠らずにさらに進もう。

過去の経験では、失敗をしないようにするよりも失敗しても前に進む気力と失敗をいつも織り込んでいるあきらめみたいなものが大事ではないかと思う。

ああ失敗さんですか。お久しぶりですね、ごきげんよう、そしてこんにちは。再会したくなかったけどしかたないね。あちこち傷だらけになったよ、はい、このとおり。またお会いしたくないけどまた会うでしょう。でも、とりあえず、しばらくお別れしますよ。さようなら。

て感じですねえ。

玉手箱を見ながら語る

どんな出目が出ても、前に進む

日々、株式市場の波と向き合い続けている藤野さんの言葉は、示唆に富んでいます。

サイコロの出目がどんなのであっても、前に進み続ける気力を持つ。時には、その気力が尽きて、立ち止まってしまうようなこともあるかもしれません。でも、また再び気力が湧いてきたときに歩き出す。

生きていれば失敗はするものですが、もちろんできる限り失敗はしたくありません。でも、かならず失敗します。

藤野さんは、どんな失敗がやってこようと、それを受け入れてやることが大事であると言っています。

人は、なにかを受け入れてやれないときに、大きな拒否反応を起こすような気がします。拒否反応をおこすと、自分も周りの人もつらくなる。

それだったら、あきらめに似た気持ちをもって受け入れてやる。

この、受け入れるスキルって、自分の気持ち次第なんですが、すごくむずかしいことなんですよね。

「受け入れること」は、「許すこと」と言い換えてもいいかもしれません。

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