自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。

Pocket

朝日新聞で毎朝連載している哲学者の鷲田清一さんのコラム「折々のことば」にて、2017年4月8日、すごく素敵な言葉がありました。

それが、タイトルにもある「自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。」という言葉です。

自分自身がどんなことに対して嫌だと思うかを、ちゃんと理解していることが、自分の進む方向を示してくれるコンパスのようなものになる時があるということです。今回は、自分の中の「NO」を知ることの意味についてです。

やりたくないことを外して、写真家に

「折々のことば」では、タイトルの言葉とともに、以下の文章がつづられていました。

多様な職種の人に人生の分岐点をきくライターの著書『選んだ理由。』から。ある写真家は、かつて勤め人だった時、妻に今の仕事をずっと続けるつもりかと問われ、もちろんと答えると、「は?つまらん」と言い放たれた。この反撃に「フツウはこうする」に流されないのが自分の性分だったと気づいたのだろう。「やりたくない」ことを一つ一つ外したのち、今の道を選んだ。

やりたくないことに対してしっかりと向き合い、それを一つひとつ外していった先に、写真家という仕事に巡り合った方の話です。夫が勤め人として働いているなか、奥さんの発言もなかなかできないと思います。

僕もこんなパートナーに出会えたら素敵だなと、この文章を読んで思ってしまいました。

自分自身のNOと正面から向き合う

人は、自分自身の思いを理解しているようで、ほんとうは全然理解できていないのではないかと、最近思いました。

それは、僕自身が自分が「NO」と思っていたことに対して、完全に目を背けていたことがあったからです。

自分を客観的に見るとか、自分の本音を探るとかいうことは、そもそも不可能なことだと思いますが、できるかぎり自分を客観的に理解できているという自負心がどこかしらにあったので、かなりショックな出来事でした。

自分自身の「NO」を知るということは、いやなことから目をそらさずに正面から向き合わないといけないので、非常につらい作業なのかもしれません。

でも、自分がいやなことをしっかりと理解することで、その後の方向性が見えたり、道が拓けてきたりすることがあるのだと思います。

関連記事:失敗や不運の先に、もっと行ってみたい場所があったりする。

最後に

好きなことや、やりたいことがないという人は、逆に自分のいやだと思うことを一つ一つ外して行くと、自分の進む道が見えてくることがあるかもしれません。

僕の感覚的にいうと、自分の「NO」を探していくと、身の丈がわかる気がします。その身の丈にあった生活をしていないと、どこかでほころびが生じてきます。僕は、自分の「NO」から目をそらして生活をしていたために、苦しくなってしまったことがあります。

そういった意味では、自分自身が「NO」と思うことから目をそらさないで、しっかりと理解をすることが、人生にとって大切なことなのでしょう。

それではまた!

Pocket

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です