朝日新聞で毎朝連載している哲学者の鷲田清一さん「折々のことば」のコラムにて、2017年4月11日、ライフネット生命を起業した出口治明(でぐち はるあき)さんの言葉が取り上げられていました。
先日の記事に引き続き、「折々のことば」を紹介しながら、その言葉の意味について考えてみたいと思います。
参照:自分の中の「NO」を知っていることが、羅針盤となることもあるのだ。
器の中身を捨てることで、容量が増す
コラムには、出口さんの言葉とともに哲学者の鷲田清一さんの文章がつづられていました。
基本的に、自分の器を大きくすることはできません。
「器」には容量というものがあり、たやすく拡大などできない。それなら逆に、中身を捨てて空っぽの状態にすること。見栄とか好悪、価値観、そういうこだわりを捨てれば、これまでとは違う考え方や大事な諫言(かんげん)もすっと中に入ってきて、器も容量がます。あたりまえのことというのはみな、どこかしらある反転を内蔵しているようだ。経営者の「座右の書『貞観政要』」から。
物事を受け入れる心の広さや深さについて語るときに、よく自分の器を広げるなどと言います。そんなときのアドバイスとしては、読書をしたり、人にあったり、さまざまな経験をしたりと主に器の中身を増やす努力について言われます。
しかし、出口さんは、自分の器というものは基本的には大きくすることができないと指摘しています。
それを踏まえた上で、鷲田さんは、物事をたくさん受け入れて自分の器の中身を充実させるという視点だけでなく、あえて中身を捨てることで、新しく受け入れる容量を増やすということの重要性を説いています。
常に器に容量がある人間になる
「器が大きい人」というのは、受け入れる容量が多いという点も挙げられますが、何より大事なのがその器に入る容量がたくさん空いている人ではないでしょうか。器に入る容量が小さい人でも、空いている容量が大きければ、器が大きい人間になれるのだと思います。
常に器に容量がある人間になるためには、鷲田さんが指摘していたように、あえて中身を捨てることで、容量を増やすことが大切です。
ただ、自分の中に入った価値観や考え方を捨てることは、簡単なことではありません。これまで自分が正しいと思ってきたことを否定することはすごく難しいからです。
僕が素敵だと思う大人は、どんなに有名であっても、決しておごらず、常にどの立場の人からも教えを乞うことができる人です。常に多様な価値観や考えを受け入れる容量がある人といってもいいでしょう。そんなカッコいい大人が増えたらいいなと思います。
最後に
自分の過去の経験に縛られて、動けなくなってしまうことが誰しも一度くらいありませんか。
自分の過去に縛られるということは、自分で自分を受け入れられていないのかもしれません。前に進むためには、自分の器にスペースを空けてあげ、それをちゃんと受け入れることが大事なのではないでしょうか。
他を受け入れるだけの器ではなく、常に自分を受け入れるスペースが空いている人にもなれるように、一歩ずづ前に進んでいきたいと思います。
それではまた!
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