先人の遺したメッセージは、何かに行き詰まったときにそれを打開するためのヒントとなる。『太陽の讃歌 カミュの手帖1』

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就職、仕事、人間関係、恋愛、結婚、病気..。誰しも少なからず悩みや苦しみと対面し、より良く生きていくために日々格闘しています。

ある人にとっては大きな悩みだけど、ある人にとってはそれが小さな悩みであったりするので、「悩む」ということをどう捉えるかは人それぞれなのです。人それぞれだからこそ、悩みを抱え込んでしまう人とそうでない人がいるのでしょう。

アルベール・カミュが書いたフィエゾールという文章には、人生の悩みや苦しみをどう捉えるかの記述があります。心にふっと落ちていく文章であったので紹介したいと思います。

フィエゾール

人びとは生きにくい生活を営んでいる。自分たちの行為を、事物に関していだいているヴィジョンと一致させようとして絶えず失敗している(ぼくの運命の外側をちらりとのぞき見たと思ったときには、それはもう、ぼくの視線の前から逃れてしまっている)。人びとはそれぞれの孤独を克服しようとして苦しみ、かつ闘っている。だがいつかは、地上が、ありのままの姿の素朴なほほ笑みを見せることもあるだろう。そのときこそわれわれのなかでの闘いや生活は、まるで消しゴムで消されるように、一瞬の間に消え去ってしまうのだ。幾百万の眼がこの景色を眺めた。だがぼくには、それは世界の最初の微笑のようであった。言葉の深い意味でいうのだが、その風景はぼくを自分の外に放りだした。その風景は、ぼくの愛なくしては一切は空しい、また、その当のぼくの愛でさえも、それが無垢でなければ、そして対象にかかわらぬものでなければ、ぼくにとっては価値がないのだということを確信させるのだった。それはぼくという一個の人格を拒絶し、ぼくの苦悩を反響のないものにしてしまう。世界は美しい。そしてすべてはそこにある。その風景が辛抱づよく訓えてくれた偉大な真実とは、精神はなにものでもなく、心もまた然りということだ。そして、太陽があたためる石や、ぽっかりとのぞいた空にすくすくと伸びる糸杉こそ、<道理がある>ということが意味する唯一の世界を限定しているのだ。そしてその意味とは、<人間なき自然>ということだ。この世界はぼくを空しくしてしまう。それは僕をとことんまで運んでゆく。そして怒りもなくぼくを否定する。それに同意し納得させられながら、ぼくはひとつの叡智に向かって歩んでいた。そこではすでに、一切が征服されていた。ーーもし涙がぼくの眼にあふれてこなければ、またもしぼくの心をいっぱいにしている詩の激しい啜り泣きが、世界の真実をぼくに忘れさせなければ。

先人たちは何を思い死んでいったのか

僕がこの文章の中で印象に残ったのが以下の部分です。

人びとはそれぞれの孤独を克服しようとして苦しみ、かつ闘っている。だがいつかは、地上が、ありのままの姿の素朴なほほ笑みを見せることもあるだろう。そのときこそわれわれのなかでの闘いや生活は、まるで消しゴムで消されるように、一瞬の間に消え去ってしまうのだ。幾百万の眼がこの景色を眺めた。だがぼくには、それは世界の最初の微笑のようであった。

僕たちが生まれる前に生きていた先人たちは、どのような景色を眺め、何を想っていたのでしょうか。

ただ、現代に生きる僕たちと同じように先人達にも、それぞれ悩み苦しみがありそれを解決しようとも日々奮闘しながら生き、そして死んでいったのでしょう。環境や暮らしは劇的に変わっているけど、個人の悩みなどの本質的なとことは、なんら変わっていないのではないかと思います。

さいごに

先人が残したメッセージ今を紐解いてみると、非常に参考になる発見があります。

先人の考えを知ることは、何かに行き詰まったときにそれを打開するヒントとなるのだと思います。

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