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ニーチェが語っていた「生きる意味」が、めちゃめちゃ腑に落ちた。

佐々木中さんの著書『切りとれ、あの祈る手を』のなかで、「ニーチェが「生きる意味」についてこんなこと言っているよ」と書かれている箇所が、めちゃめちゃ腑に落ちたので書き残しておきます。

もしかすると、三八〇万年の永遠のなかでは、自分の生はまったく小さな芥子粒(けしつぶ)のようなもので、何の意味もないではないかとでも思うのかなあ。言いましょう、いや、それは絶対に無意味ではない。

そんなこと言っていたら、四〇〇万年の人類の生ですら、宇宙の膨大な生成のなかでは無意味になってしまいますよ。それがいかに美しい一瞬の閃光であっても、花火のように果敢ない一夏の夢だったということになる。

でも、ーーやはりこういうときはニーチェなんですよね。

彼はこういうことを言っているのです。人は苦悩して言う、自分が何をなすべきかわからず、自分の人生に意味があるのかもわからない、と。しかし、それは自分が何かの原因であり、行為の主体であると考える思考の過ちからくる為の問題に過ぎない。君は何かをなし、それが意味を成すのではない。

「君はなされてる!いかなる時でも!」と、歌うように彼は言う。つまり、われわれは宇宙の巨大な生成の一部で「あり」、その意味「である」のですよ。

この膨大な宇宙の生成のなかで、われわれがこうして言葉を得ることができ、そしてそれを紡いでいくことは絶対に無意味ではない。それは意味をなすのではない。それ自体が意味なのです。

上記の文章は、これまで生きてきたなかで、一番「生きる意味」についてわかりやすく、納得感のある言葉だったと個人的に思っています。

悩んでいる人は、ミクロな視点で自分自身が主体としての生きる意味を考えてしまいがちだと思いますが、そもそもこの宇宙のなかで生成されて今を生きているということに意味があるということ。

この言葉に救われる人は、たくさんいるのではないかな。