月別アーカイブ: 2018年6月

ものづくりの作り手の顔は、オープンになっていた方がいい。

一昔前は、スーパーに野菜を買いに行っても、生産者の顔は見えませんでしたが、最近では「私が作っています」という言葉と共に顔写真が掲載されているのもよく目にします。

また車を走らせれば、道路脇に立っている広告の看板に、そのお店の責任者らしき人の顔がでかでかと載っていたりもします。

なぜ、わざわざ作り手だったり、仕事の担い手の顔を掲載するのか。

一番大きいのが、消費者に安心感を与えることができるからでしょう。また、なんとなく愛着をもってもらいやすくも思えます。

だれが作ったのかわからないものを買うよりも、作り手の顔が見えた方がいいですよね。 続きを読む

「自分たちがほしいものをつくる」が、ものづくりの原点だと思う。

ものづくりで生計を立てるのであれば、生み出したものを誰かに買ってもらわないといけません。

誰かに買ってもらえる可能性をできるだけ高めるためには、いわゆるマーケティングの手法を駆使して戦略を練ることもあるでしょう。

市場のニーズを分析して、それにできるだけ合致するような商品を作ることは、ものづくりにおいての基本中の基本なのでしょう。

ただ、僕が大事にしたいと考えているのが、「こんなものがウケそうだよね」というような市場のニーズありきのものづくりではなく、「こんなものがあったら絶対に買う」というように、自分たちがほんとうにほしいと思えるものを作る、ということにこだわるものづくりです。 続きを読む

信念や哲学を持ったものづくりでないと、それはただの量産品になる。

ものづくりといっても、さまざまなものづくりの形があります。

低価格で、大量にものをつくるのであれば、機械に頼ったものづくりになります。いわゆる量産品ですが、これがものづくり産業の大部分を占めています。

一方で、価格は高いし、数をつくれないものづくりもあります。それは、人の手作業が大半をしめるものづくりです。

価格と生産量で機械に勝てない、後者のものづくりの利点はなにか。それは以前にも書きましたが、非効率の価値がひとつあると考えています。

参照:人の手がかかるものづくりには非効率の価値があるから、その他の作業をできるだけ効率化するべき。

非効率だからこそ、ものづくりにかけるこだわりや想いを消費者に届けやすくなります。ただ、人の手がかかるものづくりだからといって、そこに信念や哲学がないと、ただの量産品と同じになってしまうと思うのです。 続きを読む